國松聡先生、お世話になりました

投稿者: 國松聡 / 投稿日: 2021年03月17日
1995年から2021年までの26年間のうち、19年間を東大で過ごされ、文字通り医局員の「守り神」でいて下さった國松聡先生が、2021年3月末をもってご退職されます。東大時代の思い出、家庭円満のコツ、新天地への抱負、若い先生方へのメッセージなどを寄せていただきました。中でも、12回も参加された北米放射線学会(RSNA)に採択されるコツは、大変勉強になります。

(聞き手・編集 前田恵理子)

先生のご略歴と代表的な業績を教えてください。

略歴

代表的業績

本院助教、本院講師・准教授、医科研准教授時代に特に印象に残ったことを教えてください。

一番印象に残っているのは肝ダイナミックCTの読影が多かったことです(笑)。いやいや、冗談はさておき本当のところは他診療科を含めて優秀な先生方と日常臨床や研究で協働できたことが資産です。Neuro、bodyカンファレンスでは若い先生方から新しい知識をたくさん教えてもらいました。様々な情報源やネットワークを活用する若手の先生方には感心しています。

また、マネジメントに関与する年代になると各方面から放射線科に対してご要望をいただく機会も多いのですが、その中で改善すべきものと守るべきものを吟味することの大切さを学びました。

筑波、本院と医科研、それぞれをご経験されながら、論文やRSNAでコンスタントに業績を出せたコツは何でしょうか?

國松聡先生:2007年北米放射線学会(RSNA)にて
國松聡先生:2016年北米放射線学会(RSNA)にて

長くなるといけませんのでRSNAに関する話題にとどめます。

卒後3-4年の時にお世話になった筑波大ではたくさんの先生がRSNAに展示や演題を出していましたので大学院に入学してから見様見真似で演題投稿を始めました。当時の筑波大は厳格で、演題が採択されていないと学会参加が難しかったので、冬のシカゴに行くぞ!というモチベーションを糧に毎年2-3月に集中して投稿準備をすることが当たり前のような感じでした。その頃は1年で10-20演題をRSNAに投稿する国内の施設がありましたし毎年のように受賞する先生が何人もおられました。日本全体が割とそういう雰囲気だったと記憶しています。

私がRSNAに投稿したなかで採択されたのは教育展示が11、一般演題が1です。そのうち4つが運良く賞をいただくことができました。日本の学会では玄人が唸るような教育演題の人気が高いですが、RSNAの教育演題は基本的にバランス重視で、マニアックな演題よりも一般教育目的の演題のほうがウケがよいと感じています。私の教育展示は直前に担当した教育講演や依頼原稿をもとに内容をふくらませたものがほとんどで、RSNAのためにゼロからアイデアをひねり出した演題はむしろ少数です。そう聞くと若い先生方も気軽に挑戦できる気がしてきませんか?

2015年日本医学放射線学会ではプログラム委員長の重責を担われ、総会は大成功に終わりました。その時の思い出と、特に思い出に残ったことを教えてください。

2015年の総会を無事に終えることができたのは、本当に、医局の先生方をはじめ、日本中いや世界中の先生方のお力添えのおかげです。私などがお願いしてもどなたもすぐに協力してくださいました。きっと会長の大友先生や実行委員長の赤羽先生のご人徳と思います。また、会期中一番うれしかったのは、企画したセッションが満員となり、それでもたくさんの先生方が会場外からスクリーンを熱心に見ていてくださったことです。「企画者」冥利につきる経験といったところでしょうか。

ご家庭との両立で苦労されたこと、工夫されたこと、うまくいったことがあれば教えていただけますか?

私の妻も放射線科医なので、教科書は一家に一冊あればOKというのがメリットでしょうか(笑)。ご家庭により様々な工夫があると思いますが、私どもの場合は、一番こども達に手のかかる時期には育児を母親が主担当、炊事その他を父親が主担当というところでなんとなくバランスをとることができました。個人的には食器洗い乾燥機はマスト・アイテムです。

新天地のご紹介と抱負をお願いいたします。

私は国際医療福祉大学三田病院に所属しますが、医学生の教育にも携わります。2年後にはじめての卒業生を迎え、初期研修、専門研修、そして一人前の医師へと成長する手助けをできるよう努めて行きたいと思います。

残される先生方、若い放射線科医へのメッセージをお願いいたします。

野球であればバットを振らないとボールに当たりませんし、サッカーであればボールを蹴らなければ得点にはいたりません。自分のキャリアの主役は自分です。若い先生方は臨床でも研究でもご自身の現在の環境でできることからどんどんやってみましょう。

中堅の先生方には裏方の仕事が徐々に増えてくると思います。最初は乗り気ではないかもしれませんが、その過程で放射線科の外とのコミュニケーション・人的資産を増やす機会と考えるとよいかもしれません。阿部教授を支えて引き続き東大放射線科を盛り立てていただければと思います。

最後となりますが、先生方の今までのご厚誼にあらためて御礼を申し上げます。「自らより優れたるものと働く術を知る者」を目指してまいりましたが、少しは先生方のお役に立てたようであれば幸いです。三田病院は東大から近いですのでぜひ遊びに、いや、働きに来てください。お待ちしております。