AIアルゴリズム開発部座談会 part 1

投稿者: 前田恵理子, 花岡昇平 / 投稿日: 2021年09月28日
東大放射線科のAI研究を紹介する連続企画。第3回目の今回は、AIアルゴリズム開発部門の、花岡昇平先生、中尾貴祐先生、柴田寿一博士を訪ねました。AIアルゴリズム開発自体もとても気になるのですが、メンバーの個性豊かさに惹かれて、前編の今回は現在の研究を伺う前に、まず彼らの生い立ち、研究遍歴をじっくり伺うことにしました。

(聞き手・編集 前田恵理子)

以前の記事

AIアルゴリズム開発部門座談会にて、左から柴田寿一特任研究員、中尾貴祐特任助教、花岡昇平専任講師

パネリスト紹介

花岡昇平 東大放射線科専任講師

2002年東京大学医学部医学科卒。AIフロントランナーに引き続き、AI連続企画には2回目の登場。医学と工学の2つの博士号を有し、複雑な数式を駆使して工学系研究者と対等に渡り合う逸材。

中尾貴祐 コンピュータ画像診断学/予防医学寄付講座特任助教 

2013年東京大学医学部医学科卒。花岡先生と同様、数式を駆使して工学系研究者と対等に渡り合える希少な医師の一人。隣にいるだけで人を幸せな気持ちにさせてくれるユーモアが魅力。読影当番中は、一心不乱に画像に向き合っている横顔がとてもかっこいい。

柴田寿一 コンピュータ画像診断学/予防医学寄付講座特任研究員

2007年東京大学入学、教養学部理科一類→工学部航空宇宙工学科→大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻修士/博士課程2016年3月修了。ユニークな逸材が多い東大放射線科の中でも群を抜くユニークな経歴の持ち主(後述)。「強いAI」の開発に強い興味がある。

はじめに

―――皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。コンピュータ画像診断学/予防医学寄付講座の同僚のはずなのに、柴田博士にはこれまでお会いする機会がなかったので、とても楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

花岡:よろしくお願いします。私はAIフロントランナー座談会でも出演しましたので、今回は主に、中尾先生と柴田博士のインタビューをリードする役を果たせればと思います。よろしくお願いします。

中尾・柴田:よろしくお願いします。

―――さっそくですが、この座談会記事の主な想定読者として、今後放射線科やAI研究に携わりたいと思っている、医学系・工学系両方の若手や学生さんがいますので、是非、皆さんのコンピューターとの出会い、学生時代やこの道に進んだきっかけや経緯を、少し詳しめに教えていただければと思います。まず、航空宇宙工学科ご出身にも関わらず医療AIを志してくださった、柴田博士のお話をぜひ教えてください。

高専を経て東京大学へ

柴田寿一特任研究員

柴田:私は香川県の出身です。コンピューターとの出会いは小学校時代ですね。友達がみんなゲームをやっていたので、自分も欲しいと親にスーパーファミコンを買って欲しいとねだったところ、「ゲーム機を買ってやることはできないが、パソコンを買ってやることはできる。そこでゲームを作れ」と言われました。

―――花岡先生と一緒だ!

柴田:それでパソコンが我が家に来て、N88ベーシックという本を小学校の図書室で見つけて読んでいたところ、コードが書けるようになったんですね。迷路を作るゲームでした。

―――小学生のうちにパソコンに触れ、本を見ながらプログラミングを覚えた、というあたりも花岡先生と同じですね。高校はどこに行ったのですか?

柴田:私は高卒ではないんですよ。

―――えっ!? 高専ですか?

柴田:高専(高松高専;現在は香川高専と改称)には通ったのですが、3年次で退学したので卒業はしていないんです。高校卒業資格認定試験(高卒認定)で大学受験資格を得ました。高卒認定と言っても、必要な単位は高専で取り終わっていたので、1科目だけですが。何か1科目は取らないと資格が取れないので。

―――なぜ高専の道を選んだのですか?

柴田:JAXA(宇宙航空研究開発機構)に入りたいという夢があったんです。高専に行けばなんらかの解が入ってくるのではと、漠然とした夢があったんですね、受験したときは中学生ですから、そんなもんです。

―――ちなみに大学はどちらに行かれたのですか?

柴田:東京大学、2007年入学です。理科一類から航空宇宙工学科に進学しました。

中尾:航空宇宙工学科って、進振りが一番上ですよね!

(※進振り:大学2年生までの成績により以降の学部進学先を決める制度)

花岡:92点くらい!?

柴田:理科一類からの進学先としては医学部医学科のほうが高いと思いますけどね(笑)

―――天文じゃなくて、宇宙船なんですね。

柴田:はい、天文ではありません。

JAXAから放射線科

―――2016年3月に工学系研究科の博士課程を卒業され、すぐにJAXAに入職されていますね。

柴田:JAXAには2016年から2018年までの2年間、任期付きの研究員として、ポスト「京」(富岳)プロジェクトにて航空機周りの流体解析で雇用されていました。その後アメリカの大学からオファーがあり、テキサスで数か月働いておりました。その後は東京大学の客員共同研究員でしたが、2019年4月から10月末まで、もういちどJAXAに入り、ポスト京の続きをしていました。

―――輝かしい経歴ですね。でも、なぜ医療AIに転身することになったのでしょうか?

柴田:航空宇宙工学の分野は私の知的探求心に答えるものでしたが、働いているうちに自らの内面が変化し、航空宇宙工学だけでは満足できなくなっている自分に気が付いたからです。

―――えっ……じゃあ、満足できるのはどんな領域なのでしょうか?

柴田:ここですよ。医療。

一同:おーーー!

花岡:柴田さん、ここでそろそろ「あれ」を紹介すべきでは?

柴田:自己紹介ですね。

柴田の自己紹介。私は自我に目覚めたときから、実はこの世界はコンピューターの中にあり、シミュレーションされているのではないか、実は我々はそのシミュレーションを実行している神の前では虚無や乱数のような存在ではないか、などと仮説を立て、今に至るまでその証明を日々試行している。これらはほとんどの人にとって受け入れがたいファンタジーである。だがある時、科学的に証明がなされていれば、たとえ先に述べたファンタジーのような主張であったとしても、客観性が保証されることに気づいた。これらのエピソードを踏まえ、誰もを説得できる研究者となるため東京大学に進学。まずは数値シミュレーション分野を極めた航空宇宙分野の研究者となり、アメリカにわたるが、ある施設で美しい女性と出会い、衝撃的な体験をしたことで、人生が一度しかないことを自覚した。この人生で必ず実現することと、これまでの人生を補間する位置にあるものに東京大学医学部附属病院を捉え、入職。最近は特に「強いAI」の実現可能性を証明すること、あるいはその証明ができないことを証明することに強い興味がある。加えて、AI自体を再帰的に認識できるAIと、意味ある主張とファンタジーを判別できるAIの構成を試行している。

柴田さんの自己紹介に盛り上がる3人

中尾:強いAIに興味があるんだ。

花岡:強いAIというキーワードがあって、理解して推論できるAIという……

中尾:特定のタスクじゃなくていろいろなことができる汎用性のあるAI。けっこう定義が揺らいでいますよね。というか、そういうものがちゃんと定義が厳密にできるなら、強いAIはすでにできるんじゃないか。

花岡:定義するより作るほうが簡単ってことか。

男女の出会いは強いAIを生み出すか?

―――ちなみに、AIは男女を結び付けられるものでしょうか?あるいは、男女の出会いは強いAIを生み出しますか?

柴田:わかりませんが、男女が結び付くと強いAIが生まれる可能性はある。

―――結局、ヒトしか「強いAI」たりえないのでしょうか……

花岡:何が最終的な目的なのか? 教えてもらえないのかがミステリアスですね。ものすごく何かに興味を持っているということはすごく伝わってきました。興味のある分野にものすごい馬力をは発揮することはわかっているので、我々がやっていることが人生の最終目標に絡むと言ってくれるのはありがたいことです。

―――ほんとですね。東大放射線科には色々な逸材が在籍していますが、これまたとんでもない逸材が仲間になり、人生の最終目標に向かってくれるのはうれしいことです。

花岡:その女性とまた会えるといいですね。

中尾:その女性は実在?

花岡:神格化されているとか?

柴田:実在です。神格化……そういう面はありますね。

パソコン少年が医学を志すまで

―――中尾先生のストーリーも聴きたいです。

中尾:僕は和歌山出身で、中高は灘でした。コンピュータに初めて触れ合ったのは小学校の時で、はじめはうちにあったマックでお絵描きをしていたくらいでしたが、小学校でパソコン部に入ったので、パソコン部にあったプログラミングできるPCを使って、本に書いてあったコードを書き写したのが始まりでした。

―――花岡先生や高尾先生と似ていますね。小学生時代にパソコンと出会い、コードの書き写しからプログラミングに入るって王道なんでしょうね。

中尾:そうかもしれません。その後、灘でもパソコン部でした。

―――三木先生と同じ、灘パソコン部パターンですね。すごいなぁ。

中尾:中学のパソコン部に転がっていたPCで、迷路を自動生成してその中を動くゲームを作ったりしているうちに、プログラミングの幅も広がっていきました。

―――そのままコンピュータの世界で仕事をしようとは思わなかったのですか?

中尾:いや、だから放射線科なわけですよ。工学部でなくても、コンピュータの知識を活かせる場はいろいろありますから。すごく正直に言うと、東大に来たのも、医学部に来たのも、「受験勉強が得意だったから」という面が大きくて。高校生なんて若いですから「一番難しいところを受けてそこに入学できることを証明したい」なんて気持ちも、正直あったと思います。でも、うちの講座に見るように、医学におけるコンピュータサイエンスの広がりはなかなか深くて、やりがいがあります。高校生の時はどうしても、目標ったってふわったしたものですが、医学には高校生の想像をはるかに超える広い分野がありますので、好きな分野は見つかりやすいと思います。

―――おっしゃるとおり、高校生の時点で医学の全体像なんて見えないですからね。中尾先生のように進路選択する人、意外に多いと思いますよ。

もうひとりの数学の天才が放射線科で見たもの

AIアプリ開発部門の放射線科医、中尾先生(左)と花岡先生(右)。

―――ちなみに花岡先生は、どんな道筋をたどってきたのですか?

花岡:私は普通の公立中学ののち、県立新潟高校出身で、理科三類なんて10年に1人出るか出ないかの学校でした。後期は新潟大学医学部に出願していました。うちは、父が整形外科医だったこともあり、医学には興味があり、初めから医学部を志望していました。

―――なぜ放射線科だったのですか?

花岡:我々(花岡・前田)、スーパーローテート世代前の最後の学年じゃないですか。当時のストレート研修時代の研修医は、最初からフルパワーで使いつぶされるような研修でしたが、私は誰がどうみても外科向きでなかった……ので、放射線科を志しました。放射線科に来たのは、早くすごい人が集まるところに行って、さっさと鼻をへし折られたかったからです。

(※スーパーローテート:2004年にスタートした、初期研修医の立場で2年間複数の科を回って幅広い分野の臨床経験を積む研修制度。それ以前は卒業後に志望科に直接所属していた。)

―――敗北を知りたいって……花岡先生らしいというか、なぜ20代からそんなに変わらず謙虚なの(笑)。

中尾:そういえば、僕は放射線科と病理でちょっと迷ったのですが、顕微鏡を覗くと、酔って気持ち悪くなってしまうんですよ。

花岡:それもあってか、中尾先生は学生時代のフリークオーターでうちに来てくれたんですよね。

中尾:シラバスに脳動脈瘤の自動検出とか、ランドマークの自動検出とか書いてあって、とても魅力的だったんです。

花岡:ああ、そうだったそうだった! 以来、この世界にどっぷりはまり込んでくれたんですね。

異分野出身者が集まって感じること

―――それぞれ非常に個性的な道筋を経ていらした皆さんですが、お互いの歩んできた道筋を見て、どうですか?まず、柴田博士から中尾先生を見て。

柴田:自分が歩んできた道とはかなり遠いという印象を受けました。でも、遠く離れていた道を歩んできたのにちょっと近づいた気がします。

―――中尾先生から柴田博士を見て、どうですか?

中尾:自分は医者になりましたが、理数系のちゃんとしたバックグラウンドがないことに、多少のコンプレックスがあるので、柴田博士すごいなあと思いました。

花岡:同世代のお2人を見て……人間ってのは一人ひとり、目的も、目標も、目の付所もちがうのに、同じところに来たりするのが面白いですね。ここの研究室は、学際的ゆえか、人生迷って来る人が多い気がします。何もかも、まっすぐ進んできた人が在籍するより、迷ってここに来る人が多いですね。ここがそういう場所であり続けるのかなぁ、と思いました。

―――なるほど、そうかもしれません。

花岡:AIだけやって、AIを極めようとする人向けではないのかもしれません。色々なバックグラウンドの人が、学際的なフィールドでどんどん活躍するには、みんな同じところを目指していてはいけない。「多様性を推進力に」するのは、モノカルチャーに論文を量産するのとは違う、何かが要求される気がします。そういうことに関われているのは楽しいですね。

(part 2につづく)